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 華流で活躍する日本人Vol.6 関谷元子さん(1)(「ライブ台湾」2周年記念)

[2007年12月17日(月) /ライブ台湾]
華流ニュース  華流で活躍する日本人Vol.6 関谷元子さん(1)(「ライブ台湾」2周年記念)
「華流で活躍する日本人」関谷元子
 

C−POPという言葉もない頃からアジアの音楽を日本に紹介し続けてきた関谷元子さん。
“華流”の波にのり今後ますます注目をあびそうなC−POPを今改めて関谷さんから紹介していただきます。
「ライブ台湾」では17日(月)〜21日(金)および25日(火)と、6日にわたり、貴重なインタビュー内容を掲載して
いきたいと思います。エンタメとはまた違う深いお話を是非ご覧ください!

「POP ASIA」の創刊のキッカケは?
――私はもともと創刊に関わっていないのです。ブルース・イ ンターアクションズという会社がアジアのCDを
リリースし ていたのですがちょうど出版部門もあり、アジアのエンタメ本も出版しようかという話になったんです。
香港映画が盛り上がっていた時期で、そろそろアジアのエンタメ本が出るムードがあったんですね。1995年に
季刊で4冊出版してのち、1996年から私が編集長になりました。前編集長が辞められて、たまたま私に「やらない?」と声をかけて頂いて、引き受けました。

アジア・エンタメに出会ったキッカケは?
――私は、音楽大学を卒業していまして、卒論でキューバの音楽を課題にしたのですが、ずっとポップスをやりたいと思っていました。それでレコード会社に入社したのですが、体を壊して退社しまして、その後、大学の卒論の 先生、中村とうようさんというかたが社長をしていらした硬派 な音楽雑誌 「MUSIC MAGAZINE」で、単行本を出すお手伝いなどをしていたのですが、先生に「音楽評論家になりたいなら育ててやるぞ」と言われて、「なに?音楽評論家って」という軽い気持ちでいたのを、しっかりと評論家として育ててもらいました(笑)。
 「MUSIC MAGAZINE」はその頃、音楽業界では教科書みたいな存在ということもあり、働いているうちにNHKの
衛星放送などにも出演させていただきました。

 当時はちょうどワールド・ミュージックブームだったんですよね。日本はバブル期だったので、それこそ世界中の音楽が日本に来ていました。そこにワールド・ミュージックのひとつとしてアジアが入っていたのです。
だから最初はエスニック・テイストの強いアジアの音楽、インドネシアとかインド、それからパキスタンのイスラム宗教歌謡のヌスラット・ファテ・アリー・ハーンさんを大好きになったりして、その後ディック・リーが登場したんです。だから南の方から北上していったという感じですね。行ったことはあったのですが、最初は香港とか今ひとつピンときてなかったんですよ。ところが台湾に行ったらピンときたんです。そこでCDを30枚くらい買って帰ったりしましたが、音楽というより台湾の雰囲気が大好きになりましたね。あの頃の台湾は今とは違っていてまだまだディープというか(笑)、それで、ここ面白い、もっと知りたいと思って始めました。

 それで色々と調べているうちに、ルオ・ダーヨウ(羅大佑)の音楽がすごくいいなと思いました。ちょうどキャンパス・ミ ュージックというムーヴメントから出てきたシンガー・ソング ライターですが、この人にインタビューしたいと
ずっと思っていたところに、ランディ・チャンという台湾の名物プロデューサーと知り合いになって、「ルオ・ダーヨウに会いたい〜」と言ったら、「いいよ。セッティングしてあげる」と会わせてくれました。いざ会ってみたら、本当に
面白い人で、今でも忘れられませんが、彼は3時間ずっとしゃべりっぱなし!(笑)。本当に色々なことを教えてくれました。まるで生徒と先生みたいでしたよ。そういったこともあってどんどん台湾に入っていきましたね。

★続きは明日掲載します!


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